歴史スポット(毛利家永代家老「益田氏」の町を探訪)

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黄帝社

中国の伝説の帝である黄帝を、祀った社です。黄帝は、航海・造船の守り神として古くから崇められ、現在も海上関係者を中心に信仰されています。この社に奉納された多くの絵馬は、山口県指定文化財として指定されています。 ■アクセス/

須佐歴史民俗資料館 「みこと館」

歴史民俗資料館には、江戸時代、毛利藩永代家老の要職にあった益田家や育英館に関する資料、須佐唐津焼の歴史や国内最古言われる青磁器類などを展示。隣接する益田家のお屋敷・益田館には当時の民俗資料が展示されています。 ■アクセス

笠松神社

  益田家33代贈正四位親施(ちかのぶ)を祀る。境内の鳥居と灯篭に刻まれた元治3年、 4年(元治年号は2年しかない)の刻銘は君主の悲憤を想い、徳川慶喜に応ずるの意を想わせる 「慶応」の年号を認めぬ反骨精神の現わ

育英館跡

育英館跡    育英小学校はかつて育英館のあった場所である。 育英館は、享保二十年(1735)に益田家二十七代益田元道のときに開かれた学校である。吉田松陰の松下村塾とも交流があった。 久坂玄瑞や伊藤博文がここを

須佐唐津窯跡群

  朝鮮や中国にも比べられるすぐれた青磁器が焼かれた須佐唐津焼。江戸時代には益田家の御用釜として栄えました。須佐唐津窯跡は山口県文化財に指定されています。伝統的な須佐唐津焼は受け継がれており、近くの「唐陶庵」で

三蔭山神社

三蔭山神社は、明治二年(1869)山口藩士兼重厚平によって建てられた招魂社である。禁門の変、戊辰戦役で戦死した十八名の霊が祀られた。 須佐の街の史跡には一つ一つに丁寧な説明板が付されていて感心するが、三蔭山神社は雑草が伸

唐人墓

享保十一年(1726)、唐(中国)の船一隻が須佐湾に入り、水・食料を求めましたが、当時の鎖国令によってこれを拒否、三日間の砲撃により焼沈させました。その時、乗組員の遺体を須佐湾の入江に葬った場所を「唐人墓」といっています

心光寺

 心光寺があるのは育英小学校の裏になる。幕末にはこの寺で勤王僧月性と久坂玄瑞が勤王討幕を論じたこともあった。禁門の変のあと、益田右衛門介親施が切腹させられると、大谷樸助、河上範三らが回天軍を組織してここに立て篭もった。更

大薀寺

須佐初代領主益田家20代元祥(もとよし)が、父藤兼の菩提寺とするため、弥富村にあった妙悟寺を移して建立、「大薀寺」と改めました。大薀寺は益田家初代から三十三代親施までの位牌が安置され、現在まで引き継がれてます。寺には室町

松崎八幡宮

 大化6年(650)宇佐八幡宮から勧請して松ヶ崎に社殿が建てられて寛永16年(1639)現地に遷された。社前に並ぶ灯篭は、 益田就恒はじめ親施など益田家歴代領主が、江戸参勤から帰国のつど奉納されたもので、昭和51年12月