心光寺 心光寺があるのは育英小学校の裏になる。幕末にはこの寺で勤王僧月性と久坂玄瑞が勤王討幕を論じたこともあった。禁門の変のあと、益田右衛門介親施が切腹させられると、大谷樸助、河上範三らが回天軍を組織してここに立て篭もった。更に維新後、萩の乱に際して、前原一誠が立ち寄った記録も残されている。 大谷樸助の墓を探して墓地を歩いたが、大谷家の墓が複数あって、どれが大谷樸助の墓か特定できなかった。 ■アクセス JR須佐駅から3分