享保十一年(1726)、唐(中国)の船一隻が須佐湾に入り、水・食料を求めましたが、当時の鎖国令によってこれを拒否、三日間の砲撃により焼沈させました。その時、乗組員の遺体を須佐湾の入江に葬った場所を「唐人墓」といっています。 ■アクセス/ JR須佐駅から10分